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まほろば

 ぼくの宿る大銀杏の身体が焼け焦げて煤だらけなのは、数十年前に焼夷弾が落ちたからだ。アサクサの町はあっという間に焼けてしまった。その中でぼくはかろうじて生き延びた。地獄と呼ぶのがふさわしい視界にぼくは何度目をつむったことだろう。オニには悪魔のくせにと何度笑われたか。ボルテスク化した東京のアサクサをぼくは再び生き延びた。人は死に絶え、その代わりなのだろうか、裏の泥川からマネカタたちが生まれ、ここを出て東京のあちこちに散らばり、そして再び戻ってきた。ぼくはアサクサの大銀杏の中から一歩も動かずにそれを見てきた。マネカタたちはアサクサを復興させようと忙しなく働いている。彼らが戻ってきてからアサクサも大分にぎやかになった。

 かろうじて残っている枝の下で子供のマネカタが鞠をついている。どこか懐かしい。東京がこんな風になっちゃう前にはよく見かけたし、ぼくも鞠に手を出したりして悪戯をしかけたものだ。ぼくらの姿は子供たちにはときどきしか見えなかった。ときどきカンの良い子にうっすらと見えるくらい。東京が混沌にあふれてからはぼくらはかくれんぼさえできない。目をこらさなくてもはっきりと見えるからだ。

 子供のマネカタはぼくを見つけると逃げてしまう。マネカタにとっては悪魔に善いも悪いもない。情けない悪魔もそうでない悪魔も関係ない。悪魔が自分たちをマガツヒ集めのために拷問していることにはかわりないんだから。ぼくにはこの銀杏を縒り代に集まってくるマガツヒがある、とはいっても、それでも時に彼らから奪わざるを得ない。そうしないとぼくが死んでしまう。煤だらけの銀杏だけが、空っぽになって残るところをぼくは何度も想像する。けど、きっとまたどこかから、ぼくの仲魔がやってきて、この銀杏に宿るんだろう。こんなに住みやすいところはほかにない。

 子供のマネカタが残していった鞠をぼくは手にとる。彼らは泥から生まれたのに、人みたいに見えるときがある。たとえば、あのフトミミって男。マネカタはこぞって彼の名を口にする。フトミミは特別なマネカタだ。未来が見えるといっていた。こめかみに手をあてて、ゆっくりと目を閉じる。暗い視界に何を見ているのだろう。彼はボルテクス化した東京の外がどうなったのか知っているんだろうか。

 ぼくの主さまは西の地にいる。今、どうされているのか。ぼくは知らない。おーい。砂に向かって呼びかけてみても、同族のコダマによって、おーい、と帰ってくるのみだ。

 鞠を転がすと影からさっきの子供のマネカタが出てきてそれを拾い、逃げるようにしてどこかに消えていった。ひゅう、と寂しく風が吹いた。ぼくは銀杏の中にもどる。銀杏の中はすすだらけだ。天をあおげば中天にカグツチが見える。かけたり、丸くなったりしているそれの下、ぼくは小さく、丸くなる。朝も夜も東京にはもうないけれど、アサクサの大銀杏にぼくはいる。それだけはいつまでも変わらない。